Yes CONDOM, No LIFE.

Yes CONDOM, No LIFE.

ゴムすりゃ宿る命なし

最強の調味料が「しょうゆ」であることに気付いてしまった。



貴方がこの文章を読んでいるということは、きっと私はもうこの世を去ってしまったということなのでしょう。


でも決して悲しまないで。私は常に貴方のそばで、貴方を見守っています。


私がこの手紙を残している理由も分からず、きっと貴方は混乱していることでしょう。


でも、それも当然のこと。なにより私自身が、突然のことで驚いているのですから。


私はある秘密に気付いてしまった。ある秘密に気付いてしまったからこそ、この文章を書かなければいけなくなった。


私が秘密に気付いたことを、彼らはおそらく察していません。でもそれも時間の問題でしょう。彼らがそのことに気付いた時、私は追われる身となり、もう貴方には会えない。


「またね。」と別れた貴方との再会が、こうした形になるとは想像すらしていなかった。でもまたこうして出会えた。なんとも素晴らしいことでしょう。二人の人間が私達ほど幸せになれることはきっとない。


私が秘密に気付き、こうしたメモを残していること、おそらく彼らはすぐに気付く。それほど彼らは狡猾で、なによりこの秘密が漏れることを恐れている。


そうなると彼らは血眼でこの手紙を探すはずです。そのことを考えると、「彼らが気付かず、貴方だけ、ただ貴方だけが気付く場所」にこの手紙を隠す必要がありました。


貴方ならきっと、「冷蔵庫が若干小さいがために、冷蔵庫の両脇にほんの僅かに生じた隙間」に隠したこの手紙を見つけてくれることでしょう。



ことの始まりは、暑い暑い夏の日のこと。


汗ばむTシャツが僅かばかり身体に張り付き、不快感を滲ませながら足早に自室へと向かっていました。


そんな不快感を誤魔化すかのように、あれやこれやと考え事をしている最中、「帰ったら断捨離をしよう」と、ふと思ったのです。


不意に運命の糸を手繰り寄せていることに気付かない私は、能天気にもその日の夕ご飯を思案しながら、あまりに軽すぎる自室の扉を開けました。


貴方も知っているとおり、私の家には一度きりしか使っていない調味料がたくさんあります。


麻婆豆腐のために買ったテンメンジャン、豆板醤、便利だが一人暮らしには多すぎる創味シャンタン、急に凝ったエスニック料理を作りたくなって買ったコリアンダーターメリック


中には賞味期限に余裕のあったものもありましたが、私は思い切ってそれら全てを処分しました。


今までのこの儚くも短い人生で、一度として調味料の賞味期限を気にしたことがあったでしょうか。


使い道の見えないそれらを処分した私は、今後重く大きな十字架を背負うこととも知らない私は、食の要となる調味料と対峙しました。


マヨネーズ。ソース。ケチャップ。しょうゆ。


どことなく漂う不穏な空気に気もそぞろな私は、これまでの一人暮らし生活を一つ一つ、丁寧に振り返ってみたのです。


そして気付いてしまったのです。食の要と思っていたマヨネーズやソース、ケチャップさえも、一人暮らしの自炊に殆ど不要ではありませんか。


マヨネーズを使う場面といえばサラダや野菜を食する時が主でしょう。ですが一人暮らしでサラダを食する時は、パックのサラダを買ってしまうことが多く、パックのサラダにはドレッシングが付いている。


そうなると、一体どこにマヨネーズを使う場面があるでしょうか。


ざわつく心を鎮め、マヨネーズを処分しました。もうダメかもしれないと、心の何処かで思っていたのでしょう。気が付くと私は涙を流していました。



ボンヤリとしながらも、私はソースに目を向けました。


トンカツ、焼うどん、お好み焼き。


ソースはマヨネーズよりも使う場面が分かりやすいです。


でもここで私は気付いてしまった。


「断捨離をしよう」と考えた時から、過ちは始まっていたのです。


断捨離とは、「必要なもの以外処分する」という行為。他のもので代用できるのであれば、断捨離のルールに則り処分するのが妥当な判断です。


ソースの横に鎮座するしょうゆ。


そうなのです。トンカツも、焼うどんも、お好み焼きも、しょうゆがあれば事足りるではありませんか。


マヨネーズのこともあり我を忘れた私は、気が付くとしょうゆを残して全ての調味料を処分してしまっていたのです。



しょうゆも捨てて楽になろう。そしてこのことはもう忘れよう。


そう考えてしょうゆを手に取った時、私はハッとしました。


この手にフィットする造形。それは「懐かしい」という手触りではなく、「またこれだ」と言うに等しいフィット感でした。


しょうゆを処分して、私は一体どのようにしてお寿司を食べることができるでしょうか。


しょうゆを処分して、私は一体どのようにして天ぷらを食べることができるでしょうか。


これを読んだ貴方は、「しょうゆが無くても塩を使えばいいじゃないか」と、きっとお思いになるでしょう。


私もはじめはそう思いました。


そこで考えることをやめれば良かったものを、軽率でどうしようもない私は、そのまま考えることを続けてしまった。


パンドラが箱を開けるよりも、よっぽど恐ろしいことをしてしまったのです。


はたして私は、塩で納豆を食べられるでしょうか。


はたして私は、塩で卵かけご飯を食べられるでしょうか。


そうなのです。私が納豆と、そして卵かけご飯と縁を切らない限り、私はしょうゆを必要とします。


加えて、トンカツだって焼うどんだって、なんでもしょうゆで代用できてしまうのです。


私は気付いてしまいました。


私は、最強の調味料が「しょうゆ」であることに、気付いてしまったのです。



パンドラのように軽率だった私のただ一つの救い、それは聡明な貴方の存在です。


パンドラの箱」の悲劇は、パンドラのパートナーが愚かなエピメテウスであったこと、それ自体です。


どうか聡明な貴方には、この箱に残った唯一の希望を、希望そのものとして生かして欲しいのです。


もうそろそろ行かなければなりません。どうかお元気で。貴方の幸福を願います。


P.S. 白身の刺身は意外と塩でイケるらしいです。