人が猟奇殺人鬼になるということ
シリアルキラー展に行って参りましたので、そのへんのことで思ったことや考えていることを書こうと思います。
シリアルキラー展って?
シリアルキラーとは猟奇殺人を犯す犯罪者のことです。馴染みのある言葉で言うならサイコパスとかが近いでしょうか。
彼らの中には絵描きが意外と多く、彼らの描いた絵が主、たまに手紙などが展示されています。
シリアルキラー展はちょっと前から毎年実施されていて、2年前に行こうとしたのですが都合が付かず断念したことを覚えています。
今年は銀座のヴァニラ画廊で、2019/07/11までやっています。
入場料2,000円、興味ありましたら是非。
19/6/18 〜 7/11 シリアルキラー展2019のご紹介 ヴァニラ画廊
なんで行ったの?
誤解を生みかねないので口外したことは殆ど無いのですが、僕は昔から、猟奇的な事件、その犯人の出生から死ぬまで、その他諸々の内容をたくさん読んできました。
そうした嗜好は無いのですが、僕たちは知らない世界を頭ごなしに否定するべきでは無く、多様な個性や価値観に寛容的であるべきだと、僕は思っています。
そう考えた時に、僕たちが知らない世界について適切に意見を持ち、寛容的であるためにまず何をすべきかと言ったら「その世界を知ること」だと思うんですよね。
まぁそんな調子で学生の頃から色々見てきて、今回も勉強兼ねて行ってきたっつー感じです。
どうだった?
客層や混雑状況
想像以上に混んでいてビビりました。
外せない用事が午前中にあり、平日ド真ん中に有休を捩じ込むことになったので、その後、平日午後12:30頃に行くこととなりました。
教室をひと回り小さくしたくらいの部屋と、さらに小さい小部屋が一つなんですけど、動きが止まっちゃう程度には混雑していました。
層は20代が圧倒的に多く、30代少し、初老の男性2名くらいってイメージです。
意外にも女性の方が多くて、7:3、6:4くらいでした。
一人で来ている人が多く、カップルが数組、同性で来ている人は殆ど見ません。
見た目で言えば、サブカル眼鏡をかけた人がすげーいて、次点でゴツめのピアスしてる系の人たち(なにそれ)、ゴスロリも割といた認識です。
女子高生が一人いたので、へぇ〜と思いました。(年齢制限とかないのかな?)
ちなみに僕はイカれたウサギのTシャツを着ていきました。
イカれたウサギのTシャツを着ていたのは1名でした。
内容について
真っ直ぐな感想を言うと、やはり不快感は否めません。
彼らがいるということは、その裏側には被害者がいるということです。
なんでもない人が描けばなんでもない絵なのに、猟奇的な事件を起こしたからこそ展示されているということが、なんとも言えない気持ちにさせます。
でも矛盾しているようですけど、資料として貴重なものではあるので、一度行けて良かったかなとは思います。
人が猟奇殺人鬼になるということ
昔からどうにもレポートとは相性が悪く、今回もシリアルキラー展のレポートは足早に、僕の想うところを書きます。
◆
彼らの多くは、好ましくない環境に生を受け、いつしか特殊性を帯び、その特殊性ゆえに「異常だ」と虐げられ、犯罪に走る。
ヘンリー・リー・ルーカスのように、身体的・性的虐待を受けた子どもたちもいれば、テッド・バンディのように、家庭の都合で出生を誤魔化され、捻れた家庭に育つ子どもたちもいる。
彼らは憎い殺人鬼だが、果たして彼らを憎い殺人鬼たらしめたものは何かと想う。
彼らが自ら選択して、その環境に生まれたか。
彼らが虐げられていた時、手を差し伸べる者はいたか。
そう考えると、僕の生きてきた人生も、ただ運が良かっただけでその実なんでもないのかもしれない。
◆
ここでシリアルキラーを2人挙げる。
エド・ゲイン
エド・ゲインは女性の皮膚や骨などを使って、衣服や被り物、アクセサリーなどをたくさん作った。
殺害人数は2人で、基本的には墓荒らしをしていた。
彼は狂信的なルター派信者の母のもとに産まれた。
母の教えでは、子を作るときのみ性行為をすべきだし、男性器は悪の象徴である。人は汚らわしく、関わりを持つ対象ではない。
悪法も法なら、歪んだ愛も愛情か。
得も言われぬ関係だが、ゲインは母を愛していた。
厳しい戒律のもと育てられたゲインは、絶対的な存在であった母の死去により犯罪を犯す。
殺害された2人はいずれも母に似た体型の女性だった。墓地で掘り出す死体も、母に似た中年女性ばかりだったという。
厳しい教育を施した母を愛し、事件を起こしたエド・ゲイン。彼は晩年も聖書を大事にしていたそうだ。
エド・ゲインは人を殺した悪人だ。
ただ、ゲインは生を受けたその時悪人だったのだろうか。
ゲインの性格を形成した母は?
その母を支えた神様は?
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ハドン・クラーク
ハドン・クラークについて、僕は今回の展示で初めて知った。
非常に印象的な内容だったため、詳細を追おうと検索したが中々出ない。どうやら日本語の記事だと情報は殆ど無いようだ。
「Hadden Clark」で海外のサイトを検索するといくつか引っかかるので、興味のある人はこの方法で探してみるのもいいだろう。
Hadden_Clark-Wikipedia
ハドン・クラークは、市長の祖父と、研究者として優秀な実績を残した父を持つ。
表向きには恵まれた家庭だが、家庭内ではアルコール依存症の父に暴力をふるわれ、女の子が欲しかった母に女装をさせられ「クリスティン」と呼ばれていた。
殺害したのは6歳の少女と20代女性の2人。事件を起こした時には女装をしていた。
殺害後に血を飲んでいたという彼は、取り調べで、「女性の血を飲むと女性に変わる事ができるかと思った。殺害された女の子になりたかった。」と供述した。
彼はスイーツや動物などの絵を描き、横にいつも、同じ一人の少女を描いた。
特別訝しいものも無く、どの絵も、その少女が共に描かれているものを手話で表現しているのみだ。
彼が描き続けた一人の少女は、彼の性的対象だったのだろうか。
その少女が青眼であること、ハドン・クラーク自身が青眼であること、その共通点に目を向けてしまうのは、少し邪推が過ぎるだろうか。
彼らから学ぶこと
他人を勝手に測るということ
。。。
前述したように、彼らの多くはたまたま好ましくない環境に生を受けた。
大多数の人たちは、たまたまその環境に生まれて、たまたま良い思い出、嫌な思い出を経験して大人になる。
僕たちは、そのたまたまを忘れて、自分のモノサシで他人のことを「異常だ」「正常だ」と勝手に測り、異常であれば弾いて、正常であれば受け入れる。
その前に、もっと考えなくちゃいけないこと、気をつけなくちゃいけないことがあるんじゃないかと、ふとした時に考える。
簡単に、普通とか、普通じゃないとか決めることが出来るだろうか。
仮にタイミングが少し違って僕がエド・ゲインだったとしても、きっと僕は僕を「正常だ」と言うんだよな。
たとえその足元で、羊たちが沈黙していても。
◆
自分の幸福を省みるということ
。。。
自分の享受している環境を省みずに自分の不幸を嘆くことがよくある。
地球上には70億通りの幸福があって、70億通りの不幸がある。
それぞれの幸福と不幸は他と比べられないはずなのに、自分より幸福そうな人を指して、「あの人には恋人がいるのに、自分には。」「あの人は社会的地位の高い仕事をしているのに、自分なんか。」と嘆いては、自分より不幸そうな人を見て簡単に憐れむ。
でも、恋人と幸福そうに見えるその人も、実情どうかは分からない。
高給取りで社会的地位の高いあの人も、実際はそれに見合わないほどの激務かもしれない。
反対に、貧しくとも心富める者もあり、幸も不幸もその本人にしか分からない。
義務教育を受けた。高校に進学した。大学に進学した。可もなく不可もない友達が出来た。自分を大切にしてくれる友達が出来た。誰かを好きになった。誰かに好かれた。誰かを愛したこともあれば、誰かに愛されたこともあった。
他人と比べてどうかは知らない。
自分がどれだけの幸福を持っているか見つめ直して親に電話する。そんな寝苦しい夜の話。