Yes CONDOM, No LIFE.

ゴムすりゃ宿る命なし

ブログに何書こう問題

僕の好きな映画の一つにベティ・ブルーというものがある。自由奔放なベティと、ベティを愛するゾルグの二人が、深い愛ゆえに壊れていく悲しいストーリーだ。
タイトルからも分かるように、壊れていくベティを主軸に置いた二人の物語と捉えられがちだが、僕はそうは思わない。

 


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ベティは元々めちゃくちゃ頭がおかしい。よく「自由奔放」と表現されるが、アレが「自由奔放」だなんてたまったもんじゃない。板垣退助もビックリである。そんなベティのゾルグへの愛にも美しさはあるが、壊れていく姿は必然的なもののように見える。ヤンチャな奴が不良になるのと同じように、どうにかなっていた病人がどうにもならない病人になったようなものである。そこには必然性しかない。

 

注目すべきはゾルグの方である。ゾルグは比較的まともな人間だったが、ベティと出会い、ベティを愛する一心で果ては犯罪まで行き着く。比較的まともなゾルグが壊れていく様子は、チープな表現をするなら悲しさしかない。同時に、ただただ純粋な「ベティへの愛」で壊れていく美しさも包含している。

 

「ベティ・ブルー」という映画は、ベティを主軸に置いた二人の物語ではない。ベティを愛したゾルグという男の物語である。とても重い映画だが、考えさせられる映画だ。一度ご覧になることはあまりオススメしない。しないのかよ。

 



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閑話休題。記事タイトルの話。
僕は今困っている。

 

ブログに何を書こうか困っている。

 

書こうとしていた記事といくつかの下書きはある。真面目なブログ、というか自分の考えていることをひたすら書こうとしていたので、下書きもその類だ。

 


話はそれるが、僕は推敲をとても重視している。
下書きしてから公開するまで10回以上は読み直す。公開するギリギリまで書き直す。一文字二文字のレベルで何回も書き直す。言葉や文字に特別強い想いを持っていて、一文字一文字まで魂をこめられるように努力している(実際には中々うまくいかない)。

 

手元にある下書きを推敲すること3度目。僕はあることに気がついた。

 


クソほど面白くない。引くほど面白くないのだ。というかもはや腹が立つ。記事の内容がめちゃくちゃ嫌な奴である。僕の普段考えていることを書いているので僕がめちゃくちゃ嫌な奴なのである。それは今言わなくてもいい。やめなさい。

 

 

僕は合理性を重視する面が強い。人が感情を重視する場面で合理的な選択を取ろうとすることもある。それゆえ親しい友人にはよく「お前はロボットだ」と言われる。
就活で「あなたのキャッチコピーを教えてください」という質問に対して「人と機械のハイブリッド」と答えた。説明を求められて「優しさ、気遣いという人ならではの側面も持っていながら、機械のようにストイックに努力出来るからです。具体的には云々」と答えた。ただ友人からは「人だけど半分機械みたいに冷たいからだろう」と揶揄された。何も言い返さない僕がいた。半分機械だから何も感じていない。面接は通過した。

 

そんな半分ロボット人間の考えていることを書くと、当然ロクなことにはならない。読み手が気分を悪くしそうなことを書いてしまう。それだけなら推敲でどうにかなるが、偏っている考え方だからこそ、その内容を含めずに表現することがどうにも難しい。

 

今まで書いてきたブログでは、あまり真面目な内容を取り扱ってこなかった。
人が不快にならないであろう書き方、人に引かれないであろう書き方で自分の考えを伝えることが出来なかったからだ。

いつしか「読んでいて面白い」ようなブログを目指すようになった。ただいつもある程度の記事数で更新をやめてしまう。読んでいて面白いブログを書くのには相当エネルギーを使う。始まりから終わりまでの流れ、記事のネタ、考えることがたくさんあった。

 

そうしてブログから離れてしばらくすると、「自分の考えや経験を伝えたい」という気持ちが次第に湧き上がり始める。その欲求に負けてブログをまた始めてみる。最初の数記事を簡単に書いてみる。そこそこ評判がいい。思い切って自分の考えを書いてみる。嫌な内容になってしまう。結局「読んでいて面白いブログ」を目指すようになり、すぐ更新をやめてしまう。その繰り返しだ。

 


今の僕はとっても「自分の考えを伝えるブログ」を書きたい。でも悪い表現問題をどう解決するかで考えあぐねている。そのまま悪い表現で書くというのも一種の解決方法だとも思っている。
とにかく「読んでいて面白いブログ」はもう目指したくない。書いている僕が幸せではないし、すぐに更新の終わるブログは読む側も幸せにはしない。今はずっと「読んでくれている人の気分を害してはいけないのではないか」という気持ちと、「悪い表現のままでも自分の考えを書きたい」という気持ちとの葛藤の中にいる。

 

ベティのようにとは言わないが、「悪い表現のままでも自分の考えを書きたい」と僕が思う時、読んでくれている人に対して、ゾルグのようにめちゃくちゃな僕の考えを許容してほしいと心の何処かで思っているのかもしれない。利己的でワガママな話。